量子力学と東洋思想

革命的な新しい発明、イノベーションはひらめきから生まれます。知識を幾らこねくり回しても、新しい発明、発想は生まれないでしょう。瞬間的に思いついたひらめきこそ、イノベーションのきっかけになるのです。ひらめきは頭で考えた結果からではなく、心の奥底、身体が既に知っていることが何かをきっかけに現れてくるものです。ひらめきは頭ではなく、身体から直接もたらされるものです。身体は全てを知っています。あなたの身体は宇宙の一部、かけらであり、小宇宙です。当然、物理法則や宇宙の法則、すべてを知っているはずなのですが、我々の二元論的な思考はそれとは次元が違う一元論的な宇宙を理解することは難しいのです。

古典物理学から現代物理学への課程でも、あらゆる概念が覆されてきました。天才達のひらめきが新しい発見をもたらしたのです。そしてその新しい発見は遥か前からあった、インド哲学、東洋思想と驚くほど一致しています。東洋では頭、思考だけでなく、身体を通したより深い理解を大切にしていました。身体を通して出てきた答えは、天才物理学者のひらめきと同じであっても不思議ではないのかもしれません。日本で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士も晩年は「老荘思想」に傾倒したというのは有名な話です。私がこういう世界にハマり込んだのも「老荘思想」がきっかけでした。物理学、数学もそうですが、哲学、思想とは奥に進めば進むほど紙一重なのだという事に気付きます。

例えば、今人類が開発しようとしている量子コンピューターは、ブッダや東洋の哲学や思想に従っていると言っても過言ではないでしょう。現在私たちが使っている古典的なコンピューターは、1か0か、あるいは有か無かの二進法に従って動作しています。これも天才的な発明ですが、量子コンピューターはそれをさらに超えて、通常の思考では理解し難い理論で動いています。 1は0であり、0は1でもある。
これは重ね合わせとして知られ、仏教やヨガの理論です。